電子のg因子, もしくは電子の異常磁気モーメント

こんにちは.
仕事が忙しくて少し間が空いてしまいましたが, 今回も前回に引き続いて電子について書こうと思います.
今日の題材は磁気モーメントを量子力学的に取り扱ったときに導入されがちな g因子なるものです.
一番最初にこの記事で扱う内容とゴールについて書いておきます.

この記事では自由電子について議論する.
自由電子は磁気モーメントを持ち, 磁場中ではその磁気モーメントに応じてエネルギーが変化する.
磁気モーメントと電子の角運動量を結びつけるのが g因子 (Wikipedia: g因子) である.
自由電子の場合, 角運動量としてはたとえば軌道角運動量 \boldsymbol{L}=\hbar\boldsymbol{l} とスピン角運動量 \boldsymbol{S}=\hbar\boldsymbol{s} が考えられるので, g因子はこれらと磁場 \boldsymbol{B} との結合定数であると言っても良い.
すなわち, 軌道角運動量に関する g因子 g_L およびスピン角運動量に関する g因子 g_S は, 磁場中のハミルトニアンを \begin{align} \mathcal{H}_{\boldsymbol{B}} &= \mathcal{H}_0 + \frac{g_L\mu_B}{\hbar} \boldsymbol{L} \cdot \boldsymbol{B} + \frac{g_S\mu_B}{\hbar} \boldsymbol{S} \cdot \boldsymbol{B} \\ &= \mathcal{H}_0 + \mu_B (g_L\boldsymbol{l} + g_S\boldsymbol{s}) \cdot \boldsymbol{B} \tag{1} \end{align} と書いたときの g_L および g_S でそれぞれ定義される.
ただし \mathcal{H}_0 はゼロ磁場下のハミルトニアンであり, \mu_B はボーア磁子 (Wikipedia: ボーア磁子) と呼ばれる定数である.
この記事では量子力学の範囲内で g_Lg_S を計算したのち, g_S に異常磁気モーメント (Wikipedia: 異常磁気モーメント) として知られる更なる補正が必要である理由について解説する.
(なお異常磁気モーメントの値の具体的な計算は大変なので, たくさんある立派な教科書に譲ることにする.)

g因子の量子力学的導出

前回記事 () で導出した自由電子ハミルトニアン \begin{align} \mathcal{H}_{\mathrm{nonrel}} &= mc^2 + \frac{(\boldsymbol{p}-e\boldsymbol{A})^2}{2m} - \frac{\boldsymbol{p}^4}{8m^3c^2} + e\phi - \frac{e\hbar}{2m} \boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{B} \\ &\quad - \frac{e\hbar^2}{8m^2c^2}\nabla\cdot\boldsymbol{E} + \frac{e}{2m^2c^2} \frac{\partial \phi/\partial r}{r} \boldsymbol{L}\cdot\boldsymbol{S} \end{align} から始める.
ただし \boldsymbol{\sigma} はパウリ行列 \begin{align} \sigma_x = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 1 & 0 \end{pmatrix}, \quad \sigma_y = \begin{pmatrix} 0 & -i \\ i & 0 \end{pmatrix}, \quad \sigma_z = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{pmatrix} \tag{2} \end{align} からなるベクトルであり, \boldsymbol{L} および \boldsymbol{S} はそれぞれ \begin{align} \boldsymbol{L} = \boldsymbol{r}\times\boldsymbol{p}, \quad \boldsymbol{S} = \frac{\hbar}{2}\boldsymbol{\sigma} \tag{3} \end{align} で定義される軌道角運動量演算子およびスピン角運動量演算子である.
上式の第3項の \boldsymbol{p}^4 に比例する質量速度項, 第6項のダーウィン項, 第7項のスピン軌道相互作用項は相対論的補正の最低次であるが, ここではこれらの寄与を無視することにする: \begin{align} \mathcal{H}_{\boldsymbol{B}} &= \frac{(\boldsymbol{p}-e\boldsymbol{A})^2}{2m} + e\phi - \frac{e\hbar}{2m} \boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{B}. \tag{A} \end{align} 磁場が空間的に一様であるならば, \begin{align} \boldsymbol{A} = \frac{1}{2} \boldsymbol{B}\times\boldsymbol{r}. \tag{4} \end{align} は磁場 \boldsymbol{B} を与えるベクトルポテンシャルとなる (実際 \nabla\times\boldsymbol{A}=\boldsymbol{B} である).
さらにスカラーポテンシャルを0とすると, 磁場中のハミルトニアンは \begin{align} \mathcal{H}_{\boldsymbol{B}} &= \frac{\boldsymbol{p}^2}{2m} -\frac{e}{2m}(\boldsymbol{p}\cdot\boldsymbol{A}+\boldsymbol{A}\cdot\boldsymbol{p}) +\frac{e^2}{2m}\boldsymbol{A}^2 - \frac{e}{m} \boldsymbol{S}\cdot\boldsymbol{B} \\ &= \mathcal{H}_0 - \frac{e}{2m}(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{B} +\frac{e^2}{8m}|\boldsymbol{B}\times\boldsymbol{r}|^2 - \frac{e}{m} \boldsymbol{S}\cdot\boldsymbol{B} \\ &= \mathcal{H}_0 - \frac{e}{2m}\boldsymbol{L}\cdot\boldsymbol{B} - \frac{e}{m} \boldsymbol{S}\cdot\boldsymbol{B} + \frac{e^2}{8m}|\boldsymbol{B}\times\boldsymbol{r}|^2 \tag{A'} \end{align} となる.
ただし途中で \boldsymbol{B} が定ベクトルであることから従う \boldsymbol{p}\cdot\boldsymbol{A}=\boldsymbol{A}\cdot\boldsymbol{p} と, ベクトル解析の公式 \begin{align} (\boldsymbol{a}\times\boldsymbol{b})\cdot\boldsymbol{c} = (\boldsymbol{b}\times\boldsymbol{c})\cdot\boldsymbol{a} = (\boldsymbol{c}\times\boldsymbol{a})\cdot\boldsymbol{b} \tag{6} \end{align} を用いた.
(A')式は磁場との相互作用を3成分含む: 第2項は軌道角運動量との相互作用, 第3項はスピン角運動量との相互作用項であり, 一方の第4項は角運動量などに依存しないラーモア反磁性 (Wikipedia: ラーモア反磁性) を表す.
ラーモア反磁性項は一旦放っておくと, (6)式はボーア磁子 \mu_B=|e|\hbar/2m を用いて \begin{align} \mathcal{H}_{\boldsymbol{B}} = \mathcal{H}_0 + \mu_B (\boldsymbol{l} + 2\boldsymbol{s}) \cdot \boldsymbol{B} \tag{B} \end{align} もしくは \begin{align} \mathcal{H}_{\boldsymbol{B}} = \mathcal{H}_0 + \frac{\mu_B}{\hbar} (\boldsymbol{L} + 2\boldsymbol{S}) \cdot \boldsymbol{B} \tag{B'} \end{align} となって, (1)式と比較して \begin{align} g_L = 1, \qquad g_S = 2 \tag{7} \end{align} が得られる.

ランデのg因子

実験的には g_L および g_S ではなくランデの g因子 (Wikipedia: ランデのg因子) g_J が決定されるので, ここでそれについて簡単に触れておく.
ランデの g因子は \begin{align} \boldsymbol{J} = \boldsymbol{L}+\boldsymbol{S} \tag{8} \end{align} で定義される全角運動量演算子 \boldsymbol{J} に関する g因子 \begin{align} \mathcal{H}_{\boldsymbol{B}} &= \mathcal{H}_0 + \frac{\mu_B g_J}{\hbar} \boldsymbol{J} \cdot \boldsymbol{B} \tag{B''} \end{align} である.
スピン軌道相互作用が無視できるとき, ある軌道およびスピンの角運動量量子数 l,s で指定される状態 |l,s\rangle はそれぞれ \begin{align} \boldsymbol{L}^2 |l,s\rangle &= \hbar^2 l(l+1)|l,s\rangle, \quad \boldsymbol{S}^2 |l,s\rangle = \hbar^2 s(s+1)|l,s\rangle, \tag{9} \end{align} を満たす.
一方全角運動量についても, 全角運動量量子数を j として \begin{align} \boldsymbol{J}^2 |l,s\rangle &= \hbar^2 j(j+1)|l,s\rangle \tag{10} \end{align} が成り立つ. \begin{align} \boldsymbol{J}^2 = \boldsymbol{L}^2+\boldsymbol{S}^2 + 2\boldsymbol{L}\cdot\boldsymbol{S} \end{align} と(9), (10)式などを合わせて, \begin{align} g_J\hbar^2j(j+1) |l,s\rangle &= g_J\boldsymbol{J}\cdot\boldsymbol{J} |l,s\rangle \\ &= (g_L\boldsymbol{L}+g_S\boldsymbol{S})\cdot(\boldsymbol{L}+\boldsymbol{S}) |l,s\rangle \\ &= \frac{1}{2}((g_L-g_S)\boldsymbol{L}^2 + (g_S-g_L)\boldsymbol{S}^2 + (g_L+g_S)\boldsymbol{J}^2) |l,s\rangle \\ &= \frac{(g_L-g_S)l(l+1)+(g_S-g_L)s(s+1)+(g_L+g_S)j(j+1)}{2} \hbar^2 |l,s\rangle, \end{align} すなわち \begin{align} g_J = \frac{j(j+1)+l(l+1)-s(s+1)}{2j(j+1)} g_L + \frac{j(j+1)-l(l+1)+s(s+1)}{2j(j+1)} g_S \tag{11} \end{align} を得る.

量子電磁力学によるg因子の補正

ゼロ磁場のとき縮退していた準位が弱磁場下で縮退が解けることをゼーマン効果という (Wikipedia: ゼーマン効果).
ゼーマン効果による準位の分裂幅は, 電子と原子核の相互作用を無視すれば, ランデのg因子を用いて計算できる (たとえば英語版WikipediaZeeman effect#Example: Lyman-alpha transition in hydrogenを見れば, 水素原子の場合のゼーマン分裂が計算されている).
電子と原子核の間の相互作用, すなわち原子核の磁気モーメントが電子の磁気モーメントに及ぼす影響についても, 電子のランデの g因子と核磁気モーメントの g因子との合成を考えれば加味することができる.
しかし1948年にクッシュ (1955年ノーベル物理学賞受賞) とフォレーによってガリウムなどのゼーマン分裂が調べられ, その分裂幅から導かれるランデの g因子 g_Jg_L = 1, g_S = 2 としたときの値と0.1%程度ズレることが明らかになった[A].
現在では g因子の値は非常に正確に測定されており, g_L=1 を仮定すると \begin{align} g_S = 2.002319304362\cdots \end{align} であるとわかっている (g_L=1 は暗黙に仮定されていると思う).
このg因子のズレ, 特に \begin{align} \delta_S = \frac{g_S-2}{2} \end{align} で定義される \delta_S を電子の異常磁気モーメントと呼ぶ.

電子の異常磁気モーメントの理論値は量子電磁力学 (Wikipedia: 量子電磁力学) を用いて計算される.
他にも, たとえば前回記事で計算されたダーウィン項も量子電磁力学的な効果である.
電磁場を量子化すると, 電磁場のエネルギーは光子の個数によって定まると考えることができる.
量子電磁力学はこれをもう少し推し進めた理論であり, 光子が電磁気力を媒介すると考える.
たとえば電子と電子は電磁気力によって反発しあい, 散乱されるが, これは2つの電子の間で光子が交換されたからだと考える.
さらには光子によって電子 (とその反粒子である陽電子) すら生成することができる (この過程は電子対生成 (Wikipedia: 対生成) と呼ばれる).
なおこれらの2つの過程は模式的に下に示したような図 (ファインマンダイアグラム) で表される.
実線が電子 (もしくは陽電子) の運動量ベクトルであり, 波線が光子のそれである.

図1 電子電子散乱のダイアグラム. 図2 電子対生成のダイアグラム. 図3 頂点補正のダイアグラム.

さて, 電子がいればそこには電磁場ができ, 電磁場があればそこには光子があるのだから, 電子の性質, たとえば質量や電荷などは光子の影響を受けるはずである.
これを比喩的に「電子は光子の衣をまとっている」と表現するようだ (原子や励起子などの光ドレスト状態とはまた違う気がする).
磁気モーメントについても, 量子力学から予想される裸の電子の値に加えて, 光子の衣による余計の寄与があり, これが異常磁気モーメントとなる.
具体的には上の図3に示したような「頂点補正」(Wikipedia: 頂点関数) と呼ばれる過程などが異常磁気モーメントに大きく寄与するようだ.

参考文献

[A] The Magnetic Moment of the Electron, P. Kusch & H. M. Foley, Physical Review 74, 250 (1948).
[1] An Introduction To Quantum Field Theory, M. E. Peskin & D. V. Schroeder, CRC Press (1995).
[2] 上級量子力学 [第I巻] 輻射と粒子, J. J. サクライ, 丸善書店 (2010).
[3] 上級量子力学 [第II巻] 共変な摂動論, J. J. サクライ, 丸善書店 (2010).